閻魔信仰

「閻魔」と「焔摩」 
 閻魔信仰は、インド神話の「ヤマ」が、仏教と共に、各地の民間信仰と混じりあいながら伝わったものと考えられる。
 特に中国では、冥界信仰や、道教、密教等と結びつき、幅広い層の人々によって伝承された。
 そのため、伝承中に混乱がおこり、現在、「エンマ」には2種類の「エンマ」が存在している。
 1つは十二天の「焔摩天」、 もう1つは十王の「閻魔王」である。  
 (詳しくはそれぞれの文字列をクリック))

 以下、十二天や曼陀羅などの密教的な天部形のものを「焔摩」、中国風の服装をしたものを「閻魔」と表記することとします。
 尚、本ホームページでは基本的に「閻魔」を中心に扱うものとします。

「預修」
  「十王」の典拠となっている「閻羅王授記四衆逆修生七斎功徳住生浄土経」(預修十王七経)によると、経の題にもなっている「逆修」「預修」とは、現世では延命を求め、また死後の自らの冥福を祈って、生前にあらかじめ仏事を修することを意味する。
 従って、「預修十王七経」はもともとは地蔵菩薩の信仰を背景に自己のための「預修」を勧めるものであった。しかし、これが晩唐から五代にかけて、故人のための追善斎へと転じている。
 人が死ぬと中陰、すなわち次の生を受けるまでの間に、冥界の十王のもとで、生前の罪状の審判が行われているので、遺族が追善斎を営めば、その功徳で故人を安楽なところに生天させることができるというのである。
 これが、六朝時代以来、父母への孝養を重視する中国の社会において、孝養のために遺族がなすべき祭礼として広く民衆の間に浸透し、流布していった。

日本の十王信仰
 日本において十王信仰が定着するのは鎌倉時代に入ってからである。しかし、信仰が定着するまでには、それなりの準備と基盤があったことに注目しなくてなならない。
 まず、地蔵菩薩に対する信仰は、日本では天平時代以来行われていた。そして、「日本霊異記」や「今昔物語」の収録されている説話によると、地蔵菩薩は十王の1人である閻羅王と結びついて信仰され、地蔵菩薩が地獄あるいは冥界からの救済者である、ということが広く知られていた。
 また日本では天平時代より七々斎を修する(死後7日毎に49日まで各斎日に本尊を決めて逆修あるいは故人の追善のために仏事を修する)事が行われていた。これが、自分のための預修生七斎や故人追善のための亡人斎を勧める十王斎と極めて近い性格を持っていた。
 こういう基盤の上に十王信仰が受け入れられたと考えられる。

 閻王寺(鳳林寺)の閻魔信仰を調べていくと、「閻魔王を拝むと子宝に恵まれる」という伝承があった。
 これは、亡人の次の生を決定する閻魔王に対して、「次の生を自分に与えてください(=子供を授けてください)」という願いがあってのことではないだろうか。

参考:「日本の美術 No.313 閻魔・十王像」

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