平成19年の門前掲示板


平成19年12月の門前掲示

自分が正しいと思う独善が 対立や争いとなる

 今年の4月の言葉でも引用したカレンダーからの引用です。カレンダーには「自分は間違っていないと思う独善が対立や争いとなる」となっています。

 解説を引用します。
『例えば、自分が車を運転している時は、注意の足りない歩行者に対して、「無神経で身勝手だ」と批判的であり、腹を立てることさえあります。しかし、同じ道路で、自分が歩行者となった時には、車が「我がもの顔」で走っているような気がして、「歩行者をいたわらない無謀な運転者」のイメージを持ってしまう場合もあると思います。このように、同じ「自分」という人間なのに、立場が違えば全く正反対のことを考えてしまうことが日常生活にも多くあります。私たちは独りで生きているのではなく、他の人々と共に暮らし、力を合わせて世の中を支えています。その時の自分の立場と目的しか考えない姿勢は、自分だけに都合の良い「ひとりよがり」であり、必ず相手や周囲の人々との対立や争いを生み出します。自分が正しいと思う事でも、相手の立場に立ってみて、全体を冷静に思いやれば、自分の独善だと気づくことも多いのではないでしょうか。』

 相手の立場になって考える、思いやりの心、大切にしたいものです。



平成19年11月の門前掲示

親思う心にまさる親心

 幕末の志士、吉田松陰が、処刑される時の句
 「親思ふ 心にまさる親心 けふの音づれ 何ときくらん」
 からの引用です。

 子が親を思う心よりも、親が子を思う心の方が深いものだ、という意味です。

 私にはふたりの子供がいますが、子供を持つことで、子を思う親の気持ちの大きさに気が付きます。
 私の親も、今私がこのように我が子に接しているほどの愛情で私を育ててくれたのだ、と思うと、大変ありがたく、今までの親不孝を反省しなくてはならない気持ちになります。

 愛情をかけてくれた両親に感謝です。
 大人になってから、親に注意されると「ウザイ」などといって反抗したくなる気持ちもわかりますが、やっぱり愛情から来る注意なんですよね。親からの忠告は聞きましょうね。
 両親が亡くなってしまっている方は、仏壇やお墓の前で、感謝の気持ちで手をあわせましょう。



平成19年10月の門前掲示

深い水ほど波立たない 浅い水ほど波が立つ 人の心もこれと同じ

 思慮が浅い人ほど、大きな声で勝手な主張をしたりするものです。
 思慮の深い人は、そんな事はしません。
 深い心を持ちましょう。



平成19年9月の門前掲示

あたりまえが 一番尊い

 こんな話があります。

 中国が唐と呼ばれていた時代、鳥彙道林(ちょうかどうりん)と呼ばれる禅僧がいた。漢詩で有名な白居易(白楽天)は、当時、ここの刺史、今の日本で言う県知事のような職についていたが、この和尚の噂を聞いて、ある日、面会に行った。
 面会に行ってみると、道林禅師は、木の上に住み、木の上で坐禅をする生活をしていた。
 そこで、白居易は、「そんな所で住んでいては危ないぞ」と、木の下から叫ぶと、道林禅師は木の上から「おまえこそ危ない」と言い返した。木の上にいるわしを危険だと言うあなたは、自分自身の危険を忘れているのではないか。あなたのいる世界には、裏切り・欲望など危険がいっばいある。おまえさんたちは、そんな危険を忘れてのほほんとしておる。あなたのほうが、もっと危険ではないのか、というわけだ。
 次に白居易が、「仏の教えの中で、もっとも大切なことは何ですか」と質問すると、道林は「諸悪莫作・衆善奉行」(悪いことをするな、善いことをせよ)と答えた。
 白居易は、そのような事は当たり前の事だとして、「そんなことは、三歳の童子でも知っている」と言い返した。すると、道林は「三歳の子供が知っていても、八十の老人すらこれを実行することはむずかしい」と切り返した。

 確かにその通りです。悪いことをするな、善いことをせよということは、最も簡単な事ですが、実行するのはなかなか難しいものです。
 あたりまえだと思っている簡単な事こそが、一番大事だったりするわけです。



平成19年8月の門前掲示

人はボートをこぐように 後ろ向きで未来に入っていく

 フランスの詩人、バレリーの詩からの引用です。

 「湖に浮かべたボートのように 人は後ろ向きに未来に入っていく
 目に映るのは過去の風景ばかり 明日の景色は誰も知らない」

 手こぎボート、皆さんは乗ったことがありますか?
 進行方向を後ろにして、オールをこいで進みます。
 進む先が見えない例えにボートを使うとはうまい表現だなぁ、と思って今月の言葉にしました。



平成19年7月の門前掲示

苦労してやってこそ喜びがある。楽なことは楽なりの喜びしかない

 読売新聞の「編集手帳」に出ていた言葉です。内容は以下の通り。

 「私の場合は、数学で苦戦しているときに悲しい歌を聴きたくなる。悲しい歌のほうが力が湧(わ)いてくる」と、数学者の藤原正彦さんは言う◆「健康で前向きな歌をうたえば元気になるという考え方は単純すぎる」と作家の五木寛之さんが応じる。しばらく前の「文芸春秋」誌での対談だ。ともに「雨に咲く花」や「湯の町エレジー」を挙げていた◆世界屈指の肝臓外科医として著名な幕内雅敏さんは手術中、集中力を高めるために演歌をかける。石川さゆりさん、森昌子さん、八代亜紀さん、ちあきなおみさん……。先週、NHKテレビの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で語っていた◆静かで悲しく、ひたすら耐える、そんな歌詞が多い。時に十数時間にも及ぶ緊張の連続。その間は「耐えるのが好きって言うか、耐えざるを得ないんですよ」。よく耳にしてきた、身近な歌を支えとする数学者や名医の仕事に、親近感も覚えた◆番組の2日後に本紙の「論点」で小児外科医の宮野武さんが、若い医師に外科志望が減っている背景をついていた。医療訴訟の問題や金銭的処遇の不十分さなど、どれももっともな指摘である◆「苦労してやってこそ喜びがある。楽なことは楽なりの喜びしかない」と幕内さんは言う。この尊い精神を継ごうと志す人が増えれば、どれほど安心なことか。(2007年7月8日  読売新聞)

 今、息子の保育園の保護者会長をしていますが、苦労が多いです。そんな自分に言い聞かせるつもりで、今月はこの言葉にしました。
 楽をしようと思えば、いくらでも楽はできます。でも、やっぱり苦労をして得た喜びというのは大きいと思います。



平成19年6月の門前掲示

「誰かがやるだろう」 その「誰か」とは、自分のことである

 私は毎年「高橋書店」という出版社から出している手帳を使っていますが、この会社では、毎年「思わず手帳にメモしたくなった、身近な人の名言・格言」を募集し、大賞を決めています。

 この言葉は、「エントリー賞」を受賞した作品です。作品は、「”誰か”とは、自分のことである」という言葉でしたが、わかりにくいので、少し書き加えました。

 又、この作品には、下記のようなコメントがついていました。
 「昔、学校の掃除の時間でのこと。その日はあまりにも寒くてバケツの水を誰も取り替えに行きたがらず、いつまでも泥のような水で雑巾をゆすいでいた。皆、誰かが行けばいいのにと思っていた。すると先生は全員を叱り、黒板にこの言葉を書いた。その後、この言葉のおかげで私は何事も嫌がらずにできるようになった。(後略)」

 いい話だなぁ、と思いました。
 「誰かがやってくれるだろう」と思ってやらない、ということは、日常でもよくあることだと思います。
 気が付いた「自分」が行動する、これが大事な事だと思います。



平成19年5月の門前掲示

一動一心

 先日、車を運転していたら、前を走っているトラックに、「一動一心」と書かれていました。
 運転操作ひとつひとつに、心を込めます、という意味だと思います。
 ちょっとした操作ミスが重大な事故を引き起こす要因になります。「一動一心」、大切です。
 私も、この言葉を見てから、運転する時は、「一動一心」を心がけるようにしています。

 日常生活においても、ひとつひとつの動作を、心を込めて行う、ということは大切なことだと思います。
 掃除の時は掃除、食事の時は食事、散歩の時は散歩、それだけに打ち込むのです。

 ちなみに、この「一動一心」と書かれたトラックが、赤信号が青信号に代わる前に「見切り発車」していたのには、がっかりしましたが。



平成19年4月の門前掲示

現在に全力を尽くそう 過去はもうない 未来はまだない

 昨年の年末に、仏壇の業者さんが、カレンダーを持ってきて下さったのですが、これはその中の言葉です。

 この言葉には、以下のような解説もついていました。(一部省略・修正)
 「私たちの人生は常に「現在」の連続であります。わずか1時間前のことでも、もう過去のこととして過ぎ去り、また、明日のことはどうなるかわかりません。帰らぬ過去についていつまでも執着したり未練を持つことは愚かです。また、まだどうなるかもわからない未来のことをいたずらに気にかけ、要らぬ心配ばかりして過ごすのも無意味なことです。今の瞬間、今の機会をおろそかにしていては、新しい光ある未来が開けるはずもありません。過去にも現在にもとらわれず、その時その場でするべきことに自分の全力を尽くしていこうではありませんか」

 まさにその通り。良いことが書いてあるなぁ、と思って、今月の言葉にしました。



平成19年3月の門前掲示

親不孝な人間が しあわせになった ためしはない

 宮本輝という作家の「青が散る」という作品中に出てきた言葉です。
 親孝行をする心が、その人を幸せにさせるのだと思います。
 だから「自分は幸せになりたいから、イヤだけど、親孝行をしてやる」などという気持ちでは、幸せにはなれません。

 「親孝行 したいときには 親はなし」などといいますが、親が亡くなったあとにもできる親孝行があります。それは、「お墓参り」だと思います。
 お彼岸です。是非お墓参りにいきましょう。



平成19年2月の門前掲示

アンバランスでバランスをとる

 書家の大石千世先生の言葉です。
 私は、いま大石先生のもとで、書を習っていますが、ある時先生が、この言葉をおっしゃいました。
 「太」といった左右対称の字でも、あえて左右対称に書かず、アンバランスでバランスを取るのです、と。

 書というのは、ひと文字でもバランスをとらなくてはならないし、他の文字とのバランスも必要です。
 書道ってのは、バランスだったのかぁ!と私は感心しました。

 書の世界ばかりではありません。世の中、アンバランスな事ばかり。自分の心の中のバランス、他の人とのバランス。いかにバランスを取って生きていくか、それが大切な事だと思います。



平成19年1月の門前掲示

種をまけば いつか実になる

 玩具メーカー「サンリオ」が出版している『みんなのたあ坊の菜根譚』の言葉です。

「少しずつでいいから成長の種をまこう。
人の話を聞いたり、本を読んだり。
それがいつかは実をむすぶ。」

 先日、寺のロウバイ(蝋梅)から種が取れたので、育ててみようかと思って調べたら、芽が出てから花が咲くまでに10年くらいかかるそうです。
 「桃栗三年柿八年、梅は酸くても十八年」という言葉を思い出しました。

 長くかかっても、必ず実を結ぶときが来ます。
 種をまかなくては実はなりません。


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