平成26年の門前掲示


平成26年12月の門前掲示


坐禅とは、何かを身につけることではなく 捨ててゆくことだ

 書家の相田みつを氏の師、武井哲応老師の言葉です。  長いので省略しましたが、正しくは「坐禅とは、何かを身につけることではなくて、どうでもいいことを捨ててゆくことだ。坐禅をして何をどう捨てられたか?自己点検の尺度は、常に捨てることだ」です。
 よく「集中力をつけるために坐禅をする」とか「心を落ち着かせるために坐禅をする」などと言う方がおられます。坐禅には、もちろんそのような功徳がありますが、そのための坐禅ではいけません。むしろ、「何を捨てるか」、「何をどう捨てたか」の方が大事なのです。

 12月8日は、お釈迦さまがおさとりをひらかれた日とされています。みなさんもご家庭で静かに坐り、何かを捨てることができるといいですね。



平成26年11月の門前掲示


与える心が 渇きを潤す

 今月の言葉は、Facebookから見つけてきた言葉です。出典は不明です。
 以下もFacebookから。

 【 あえて与える側に回る 】

 もし、あなたがお金に困り、心に余裕をなくしているなら、持っているお金のほんの一部でも、慈善団体に寄付してみてください。
 もし、あなたが信頼していた人に裏切られて人間不信に陥っているなら、地域のボランティア活動などに参加して、無償で人のために尽くしてみてください。

 何かを失ったとき、人はそれに執着してしまいがちです。失ったものを取り戻すことにばかり心を奪われ、視野が極端に狭くなってしまいます。
 人が何かに飢えているときは、「自分のことしか考えられない人間」になってしまっています。
 自分だけが不公平に損をしている思い、他人が妬ましく思え、他人の不幸を願うようになります。
 また、他人を傷つけたり、何か罪を犯したりしても、「自分は不当な扱いを受けてきたのだから、これぐらいのことをしても許される」と、当然の権利のように正当化してしまいます。
 心が貧しくなり、人を思いやる気持ちも、与えられた恵みに感謝する気持ちもなくなってしまいます。

(中略)

 何かがほしくて仕方ないとき、見方を百八十度変えて、与える側に回ってみてください。
 「そんなことをしたら、よけいに困ってしまう」
 とお考えですか。
 いえ、あなたより、もっとそれを必要としている人もたくさんいるのです。
 あなたが与える側、感謝される側にまわることもできるのです。
 信じられないと思う人も、だまされたつもりで、どうか試してみてください。
 お金でも、愛でも、自分がそれに飢えているときこそ、要求するのをやめて、逆に他人に与えてください。
 きっと、何かが変わるはずです。


引用終わり

 曹洞宗で読まれているお経「修証義」の中に、「愚人謂(おも)は(わ)くは利他を先とせば自(みず)からが利省(はぶか)れぬべしと 爾(しか)には非(あら)ざるなり 利行は一法なり 普く自侘(じた)を利するなり」 (愚かな人は目先の利にとらわれ、他人の利益になるようなことをすると、自分の利益が損なわれてしまうとばかり考えがちであるが、そうではないのである。利他行を行ずれば、回りまわって結局は自他共に利益を蒙るのである)とあります。

 もし回りまわって自分の所に利益が来なかったとしても、他の人のためになる行動というのは気持ちの良いものです。
 執着を捨てて他の人のためになるような事をやってみましょう。



平成26年10月の門前掲示


誰かが言いたいことを、自分が言わされる愚を避けよ

 カリン・アイルランド氏の言葉です。

 世の中には様々な情報が流れています。新聞・雑誌、テレビ・ラジオ・インターネット。そして噂。
 その内容がたったひとりの意見だったとしても、ひとたび流れてしまうと「大勢の意見」と錯覚しがちです。
 そして、その内容をそのまま鵜呑みにし、自分の考えなしに、特に調べる訳でもなく、あたかも自分の意見のように周囲に言ってまわるのは、大変愚かなことだと思います。

 それを避けるためには、まず、自分の考えをきちんと持つことです。何か情報を見たり聞いたりしても、「確かにもっともな意見ではあるが、自分の考えとは違う」と思うことで、周囲に話す事に歯止めがかかります。もうひとつは、ちゃんと調べることです。ちょっと調べれば誤りに気づくはずなのになぁ、という情報がまことしやかに流れていることがたいへん多いです。

 どちらにしても、他人の批判や悪口を言いふらすのは良くないことです。慎みましょう。



平成26年9月の門前掲示


生まれ変わるなら 生きているうちに

 長渕剛さんの「人生はラララ」からです。

 「今度生まれ変わったらこういう人生を」なんて思ってしまうことがあるかもしれませんが、もし生まれ変わったとしても、前世の記憶などないですよね。
 だから、生まれ変わるのは、生きているうちしかないんです。
 変わりたければ、今からがんばって、生まれ変わったかのようにするしかないんです。



平成26年8月の門前掲示


休んでも、やめてしまわない。

 「継続は力なり」という言葉があります。
 でも続けることが大変になる時もあります。そういう時はちょっと休んでもいいんじゃないのかなぁ。
 休むことで見えてくる事もあると思います。やめてしまわないことが大切。

 鳳林寺では、昨年までの5年間、8月に飛地境内に安置されている閻魔大王のお祭りを行ってきました。
 年々お祭りに来てくれる人が増える一方で、お手伝いしてくれる人が増えず、暑いし、支度する時期がお盆などと重なっており私自身が大変になってしまい、今年はお休みすることにしました。
 でも、「休んでもやめてしまわない」。また来年再開できるといいな、と他のやり方を模索中です。



平成26年7月の門前掲示


記憶というのは、セロテープのようなものだ。留めただけのつもりでも、古くなるほど黄ばんで頑固になる。そうなると、なかなか剥がせない。

 今月はちょっと長めの言葉です。

 森博嗣氏の小説の中の言葉です。
 
 昔の事をいつまでも覚えていて、「あれが良くなかった」「これが悪かった」「あんなことを言われた」「こんな事をされた」などと言っていては、前に進みません。
 また、そのような記憶はどんどん頑固になって凝り固まってしまいます。そうなるともう剥がせません。忘れることができなくなってしまいます。許すことができなくなってしまいます。
 そうなる前に、悪い記憶はどんどん忘れてしまいましょう。他人にされたことはどんどん許してしまいましょう。

 そんなものいつまでも貼り付けておいても苦しいだけです。



平成26年6月の門前掲示


人をほめる事は 体に良いものを 食べるに同じ

 作詞家・小説家・エッセイストの吉本由美さんの言葉に、
 「批判的になることは、身体に悪いものをわざわざたべるようなもの」という言葉があります。
 「人を見るときに、つい批判的な目で見てしまうことがあります。でも人を批判的に見たとき、ハッピーな気持ちになるでしょうか?批判的なエネルギーはそのまま後を引くものです。それは知っていながらわざわざ体に悪いものを食べるようなもので、何の利もありません。」と。

 だから、私たちは、人の良いところを見つけて、ほめ、他人の幸せを喜ぶことが大切なのだと思います。
 そうすることで、結果として体に良いものを食べているのと同じような効果が出てくるのではないのでしょうか。

※似た名前でPUFFYの吉村由美さんがいますね。別人物です。



平成26年5月の門前掲示


クラクションではなく ブレーキをかけられる 心

 先日、駐車場から道に出ようとした車が、道を走っていた車にクラクションを鳴らされる、という光景がありました。
 もちろん、道を走っていた車の方が優先ですので、クラクションを鳴らすのは当然かもしれません。
 でも、この二者の間隔は広く、駐車場から車を出す余裕は十分ありました。だから、道を走っている運転手さんは、「あぶない」と思った時に、クラクションを鳴らすのではなく、ちょっとブレーキを踏んでおけば、お互い気持ちよかったはずです。

 日常生活でも、ちょっとでも気に入らない事があると、大きな声で文句を言う人がいますね。
 そういうのは、いわれる方は大変気分が悪いです。言った方も、あとから気分が悪くなるはずです。

 だから、気に入らないこと、いやなことがあっても、是非、心にブレーキをもって、自分自身にまあまあ、いいじゃないかって言ってあげることができるといいなぁ、と思います。
 そうすれば、相手も自分も気持ちが良いはずです。



平成26年4月の門前掲示


善いことをしたら 忘れる

 あるお寺さんからいただいた日めくりカレンダーの言葉です。

 布施と申しますと、お経を読んだときに和尚様に包んで差しあげるものと一般では思われておりますが、そんな狭いものではありません。

 ちょっと仏教を知っている人なら、そうだよ、知ってるよ、財産でも財産でなくても、何かしてあげるのが「布施」なんだ。 という声が聞こえてきそうですね。そうです!その通り!
 でも、仏教でいう布施とは、まだまだ奥が深いのです。
 仏教では、自分の持っている物欲を無くす為に布施をさせて頂くのだ、と説いているのです。

 インドや東南アジアを旅しますと、お坊さんに布施をしていますが、受け取ったお坊さんは胸をはって無表情です。お坊さんは、布施した人間の持っている物欲を少しでも軽減してやっているのです。だから布施する人は合掌して布施しています。また善いことをすると、私は善人だと執着し宣伝したくなります。でもそれも捨てるのが大切なのです。



平成26年3月の門前掲示


指をさして 人を非難する前に 君のその手が よごれていないか 確かめてくれ

 ジャマイカのレゲエミュージシャン、ボブ・マーリー氏の言葉です。

 まず、人に対して指をさすという行為は良くないですね。私は相手に対して大変失礼なジェスチャーだと思います。
 それが、非難のために指をさされたということになるとさらに気分がわるいですよね。

 他人の欠点が気になるのは、自分自身にも同じ欠点があるからだ、という話を聞いたことがあります。

 人を指さし非難するのはとても簡単な事です。自分はなにもしなくていい。相手を非難するだけだ。でも、その指を自分に向ける勇気はあなたにはあるでしょうか?

 人を非難する前に、まず自分自身を見直してみてください。

 私の指はよごれていないだろうか?



平成26年2月の門前掲示


たいせつなものは 目に見えない

 サン=テグジュペリ「星の王子さま」の一節です。
 「大切なものはね、目には見えないんだよ。目では見えない、心で探さないと。」

  いま、ここに、みかんがあります。丸くてだいだい色をしています。さわるとつるつるざらざらしています。柑橘系独特のにおいがします。皮をむいて食べると、甘くてすっぱい味がします。
 これは全部、見たり感じたりできることです。

 でも、みかんがここまで来る間に、いろいろな事があったはずです。このみかんは、昨日近所のスーパーマーケットで買ってきました。地元産のもので、袋に生産者の名前が入っていました。
 みかんは、この生産者の方が畑で丹精込めて育てられ、収穫され、袋に詰められ、トラックで運ばれ、スーパーで並べられ、レジで精算され、私の手でここまで運ばれてきました。
 そんなことは見えません。でも、とっても大切なことです。その過程がなくては、みかんはここにありません。

 このみかんの代金は、スーパーマーケットのレジの店員さんに支払いました。
 「スーパーのレジの人はいいなぁ、お金がいっぱいもらえて」なんて思う人はいないですよね。想像力を働かせればすぐにわかります。

 確かに私が目で見えたのは、私がレジの人にお金を渡した所だけです。でももちろん、みかんの代金は、レジ係の人にはもちろん、スーパーでみかんを並べた人や、トラックの運転をしてきた人そして生産者のところにも行くでしょう。スーパーの維持管理費にもなるでしょう。でも、そこは見えません。
 大切なことは、私がレジの人にお金を渡して、財布の中身が減ってしまった事ではなく、このお金で経済が回ったという事です。

 こういうのって、わかっているようで、忘れちゃうんだよなぁ。
 しっかりと、心で探さないと。



平成26年1月の門前掲示


どんな不幸を吸っても吐く息は感謝でありますように

簡易投稿サイト「ツイッター」から出てきた言葉で、良い言葉だなと思って調べたら、キリスト教の言葉のようです。
「天のおとうさま、どんな不幸を吸っても吐く息は感謝でありますように。すべては恵みの呼吸ですから」という詩があるそうです。

相田みつを氏も次のように述べています。「つまずいたり、ころんだりしたおかげで物事を深く考えるようになりました。過ちや失敗を繰り返したおかげで少しずつ人のことを温かく見られるようになりました。何回も追い詰められたおかげで自分の弱さとだらしなさをいやというほど知りました。裏切られたおかげで人の温かさを知りました。そして、身近な人の死に会うたびに人の命のはかなさと今生きていることの尊さを骨身にしみて味わいました。」

〜のせいで、と言わず、〜のおかげで、と言うことで感謝が生まれるのだと思います。
苦しくても、愚痴をいわず、感謝の気持ちでいたいものです。


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