平成27年の門前掲示

平成27年12月の門前掲示


我々は多くの壁を造るが、橋の数は十分でない

 万有引力で知られるイギリスの物理学者・数学者・天文学者のアイザック・ニュートン氏の言葉です。
 We build too many walls and not enough bridges.(我々は、多すぎるほどの壁を造るが、橋の数は十分でない)

 もちろんここでいう「壁」や「橋」は本物の壁や橋のことではなく、心の壁や橋の事ですね。

 私たちはつい、他人との間に壁を造りがちです。
 「壁」を作らず「橋」をたくさん架けることができるといいですね。



平成27年11月の門前掲示


おとなが言う「あとで」はもう来ない未来

 「高橋の手帳」の第18回手帳大賞の受賞作。
 応募した方によると、5才の息子さんに言われた言葉だそうです。

 確かに「あとで」と思っていても、なかなか実行できないものですよね。
 さて11月になりました。今年のカレンダーもあとわずか。
 今年のお正月に決意したものの、「あとで」、「そのうち」といいながら、そのままになっている事はないでしょうか?

 こどもたちに「もうこないみらい」なんて言われないように、きちんと実行したいものです。



平成27年10月の門前掲示


一流の人は決して怒鳴らない

 演出家の宮本亜門さんの言葉です。
 「(前略)米国のブロードウェイでもロンドンの ウエスト・エンドでもそうですけれど、(演出家が)感情的になってしまうと、みるみるうちに役者やスタッフが完全に距離を取りはじめるんです。「ああ、かわいそうな演出家だな。自分をコントロールできないんだ」「未熟な舞台演出(家)だな」と言われる。芝居が成り立たない。それに、そんなことをしたら「あいつはコミュニケー ションをうまく取れない演出家らしい」という噂がブロードウェイ中を駆け巡って、二度と声を掛けてもらえなくなってしまう。だから、一流の演出家は決して 怒鳴ったりしないですよ。(後略) ※( )内は私が追加」

 感情にまかせて怒鳴ることは、当然の事ながら逆効果です。

 先日、家族で外食に行った時の話です。お店は混んでいて、私たちは入り口付近で順番を待っていました。すると、店の奥で誰かが店員さんに向かって大声で怒鳴っている事に気がつきました。お店には音楽がかかっていて、また私は入り口付近にいたので、何を言っているのかまではわかりませんでしたが、なにやら机をバンバン叩いて怒鳴り続けていました。見た感じ60才過ぎの男性のようでした。60をすぎた大人が何をやっているんだろう?。中2の息子も「他のお客さん、せっかく楽しみに食べに来ただろうに、あのお客さんのせいで台無しだね。」と言っていました。本当にその通りだと思いました。中2の子供でもわかるような事が、60才過ぎてもわからないとはねぇ。私も見ていてイヤな気分になりました

 人前で大きな声で意見を言うことは、本人はすっきりするかもしれませんが、周囲にたいへん迷惑がかかります。言われた方もびっくりします。また宮本亜門さんがおっしゃったように「自分がコントロールできないかわいそうな人」と思われても仕方ありません。何か注意したい事があったら小さな声でそっと言えば済むことです。

 人前で大きな声を出すことは、恥ずかしい事と心得え、気をつけるようにしたいものです。



平成27年9月の門前掲示


人は生まれによって卑しいのではなく、行いによって卑しくなる

 ブッダの言葉です。
 正しくは、「人は生まれによって尊いのでもなければ卑しいのでもない。その行いによって尊くもなり卑しくもなる」です。

 人は常に平等です。生まれや育った環境、皮膚の色などによって差別されるような事があってはなりません。これらの事は、自分で変更することはできないからです。

 しかし「行い」はどうでしょう?自分の考えでどうにでもなります。おしゃかさまはこれについて「尊くもなり卑しくもなる」と言っているのです。

 うそを言ったり、だましたり、人の悪口を言ったりすれば、卑しくなります。
 常に人に親切、口を慎むことで、尊くなります。

 さあみなさんはどうでしょう?

 尊い人になりたいですね。



平成27年8月の門前掲示


天が金銭を降らしても、人の欲はとどまることがないだろう

 御誕生寺、板橋興宗禅師の言葉です。

 「空からお金が降ってこないかな」なんて誰もが思う事ですが、きっと私たちは、空からお金が降ってきても、「もっともっと」という気持ちになり、満足することはないのかもしれません。

 「これで十分。ありがたい」という気持ちにならなくては、いつまでたっても欲の炎は消えることはないでしょう。



平成27年7月の門前掲示


光に遇うと はずかしいこと ばっかり

 島根県・九日市町下の浄土真宗円立寺さまの門前掲示からです。円立寺さまでは、昨年平成26年7月に掲示されました。
 そこに、以下のようなお話がありました。

 道路にごみが落ちてたのに拾えば良かった…
 罪のない虫を殺しちゃった…
 人が見てないと思ってしている気の引けること
 何気なしに好いことと思ってしていること
 そんな故意・悪意のない事柄が
 御仏の前に出ると
 全部さらけ出されてしまう
 御仏はいつも見ておられる
 悔いのない日々を過ごそう



 そうですね。陰でこそこそやってるつもりでも、実は丸見えですよ。



平成27年6月の門前掲示


5年前にあなたは何をしていたか?その答えが「いま」である

 鹿児島県出身の実業家、堀之内九一郎さんの言葉です。

 物事には必ず原因と結果があります。5年くらい前にしていたことが、ちょうど「いま」結果として出ている頃ではないのでしょうか?

 この格言を見て、そういえば私は5年前何をしていたんだろう?と調べてみたのですが、確かに様々な形で結果が出ていることがわかります。がんばって今につながっていることもあるし、がんばったけどダメだったこともあります。また当時怠けていたことが、今悪い結果をもたらしてしまっているような事もあります。
 出来たこと、できなかった事、良くなった事、悪くなってしまった事を含めて「いま」なんだろうなぁ、と思いました。

 みなさんはどうでしょう?今はインターネット上でブログやSNSを利用している人が多いので、5年前に何をしていたか比較的容易に調べることができると思います。

 さて、この格言をさらに進めて考えると、「今、あなたは何をしているか?その結果が5年後である」ともいえますね。
 今、どのような生き方をしているのか、何をしているのか?それがそのままあなたの5年後につながるのではないのでしょうか?
 そう思うとオチオチしていられませんね。



平成27年5月の門前掲示


偉大なものを尊敬してこそ、自分も高まるのだ

 18世紀〜19世紀のドイツの詩人ゲーテの言葉です。
 もう少し詳しく書くと、
 「今の人間は偉大なものの「あらさがし」をしては喜んでいる。
 偉大なものを攻撃すれば、その分、自分が偉く思われると信じているのだ。
 ばかばかしい!偉大なものを尊敬してこそ、その分、自分も高まるのだ。」
 となります。
 
 ゲーテは、今から約200年前の人ですが、200年経った今ではどうでしょう?今でも学校の先生や警察官など尊敬されるべき人、地域の貢献者など周囲から尊敬を受けている人に対し、相変わらずあらさがしをして攻撃しようとしたりする人がいますね。それで本人は「やったぞ。弱みをにぎったぞ。言い負かしたぞ。困らせたぞ!自分はヤツらより偉い」などとなっているのです。本人としては気分が良いのかもしれませんが、見ていて不快ですし、見苦しいし、また滑稽でもあります。そして最終的には周囲の信頼も失います。

 一方で神様仏さまを大切にし、学校の先生や地域の貢献者に敬意を払い、つつましく生活している人も多くいらっしゃいます。そういう方は見ていて気持ちが良いですし、周囲からも慕われており信望もありますね。

 さあ、みなさんはどうでしょう。他人をけなして偉くなった気分でいるか、他人を立ててつつましく生活するのか?

 最後に、今人気の少女漫画「アオハライド」のセリフを紹介しますね。
 「相手の事悪く言えば、自分が高みに立ってる気分になるのかもしれないけど、それ全然違うから!!」
 ね?今も200年前も変わっていませんね。



平成27年4月の門前掲示


転んだ人を笑うな 彼らは歩こうとしたのだ

 4月です。進学・進級・就職の時期です。新しいことを始めるのに良い機会ですね。
 さて、今月の言葉は、経営学者の米倉誠一郎氏の言葉で、「転んだ人を笑うな 彼らは歩こうとしたのだ」です。
 止まっていて転ぶことはありません。転ぶ事ができるのは、前へ進もうとした人だけなのです。
 チャレンジすることはとても大事。そのチャレンジで失敗しても、傍から見てそれを笑う権利は誰にもありません。

 もうひとつ似た言葉で、「皿を割るのは、皿を洗った人だ」という言葉があります。(出典を探しましたが不明)。「皿を割ってしまった」という事実に目が行きがちですが、皿を洗っているからこそ皿を割るのです。皿を洗っていない人が皿を割ることはありません。だから皿を割った人に誰が注意できましょう?

 私は、小さい頃から新しいことにチャレンジするのが苦手でした。今でもそうです。慣れないことをする不安、失敗して誰かに怒られるのではないかとビクビクしてしまうのです。でも今思えばなんだかもったいないですね。
 私も今から何か新しい事にチャレンジしてみようかな。



平成27年3月の門前掲示


振り向けば ご恩をうけし 人ばかり

 3月は卒業のシーズンですね。
 卒業式ではよく「仰げば尊し」が歌われますね。「我が師の恩」。今までお世話になった先生方への感謝の気持ちを歌ったものです。
 卒業ばかりではないですね。人事異動や昇級、転職など、さまざまな節目の時期になると思います。

 この時期に、ちょっと振り返ってみましょう。
 何でも誰の世話にもならず、自分ひとりの力でがんばってきた、と思っている人もいるかもしれないですが、そんなことはないです。
 良く考えて振り返ってみてください。実は今まで関わった友達、仲間、先輩、後輩...そして家族。みんなお世話になり尊い「師」だったのではないでしょうか?

 そう考えると感謝のきもちでいっぱいになりますね。



平成27年2月の門前掲示


親切にすることで 人の親切に気づく

 少し前、自動車の運転中に違反行為をして、警察につかまってしまいました。その翌年、運転免許の更新があったのですが、そこで「軽微な違反者の講習」というのを受けました。
 講習の内容は、軽微な違反でも回数を重ねれば違反点数を免許停止になるし、一回大きい違反をすると、その時点で違反点数で免許停止になるよ、といった、安全運転の喚起というよりは、違反への恐れを強調した内容で、なんだかなぁ...と思いました。

 ともあれ、また違反をして、運転免許がなくなってしまうと困るので、それ以後気をつけて運転するようになりました。丁寧な運転、周囲に対する親切な運転を心がけていると、他の人の運転ぶりというのもよく見えてきます。ああ、ここでゆずってくれたな、とか、ああここで止まってくれたな、という、いままで当たり前に思っていた周囲の運転者の親切に気づくようになりました。

 ご家庭でもどうでしょうか?例えば、お茶を飲みたいとき。急須に緑茶を入れ、そこに湯を入れ、しばらく待ち、湯呑みに注ぎます。誰かにやってもらっていると当たり前に感じますが、自分でやってみると、急須に入れる緑茶の量、注ぐ湯の温度と分量、抽出する時間、これを工夫しないとなかなかおいしいお茶を入れることができません。難しいものです。この大変さがわかることで、さらにお茶のおいしさ、またお茶を入れてくれた人に対する感謝がわいてくるのではないでしょうか?

 最後に夏目漱石の言葉を紹介します。「人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切にしてみたいものだ。」



平成27年1月の門前掲示


人生は冒険旅行だ

 NHK朝の連続ドラマ「マッサン」のセリフからです。

 主人公の奥さんエリーは、幼い頃、病床の父親から次のようなことを言われます
 「パパが天国にいったらどこでも好きなところへ行ってやりたいことをやりなさい。失敗してもいい。間違ったらやり直せばいい。お前の人生はお前のものだ。 いいかエリー、人生は冒険旅行だ。悔いなく生きるんだよ」
 ちなみに、この話の中で、主人公マッサンを雇っている「鴨居商店」の社長も同じセリフを言っていますね。

 30年ほど前、「Drスランプ アラレちゃん」というアニメ番組がありました。「ドラゴンボール」を書いた鳥山明さんの出世作といえる作品です。
 最近この番組のオープニング曲「ワイワイワールド」を聞く機会があったのですが、そのなかで「どぉーんな事がおこるかな それゆけイッシシシお楽しみ」という歌詞がありました。(ちなみに作詞は鳥山明ではなかった)
 30年前、子供としてこの歌を聞いたときは何とも思わなかったですが、今改めて聞くと、なんか元気づけられる歌だなぁって思いました。
 朝、目が覚めて「今日はどんなことがおこるのかな?イッシッシッシお楽しみ」なんて思っていたら、毎日が新鮮な気持ちになるだろうなぁ...と思いました。

 最後にプロレスラーの船木誠勝さんの言葉を紹介します
 「もし人生が二回あればお母さんの言う通りに高校へ行くけど、 一回しかないんだから自分の自由にさせてください。」
 そうだよね。人生は1回きり。あなたの人生はあなたのもの。そして何が起こるかわからない冒険旅行だ。

 さあ平成27年はどんな事がおこるかな?イッシッシッシ お楽しみ!



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