平成28年の門前掲示


平成28年12月の門前掲示


「幸せは比べるものではなく、あなた自身が感じるもの」


 現在、お坊さんがネットで相談をするサイトhasunohaで回答をしていますが、「他の人がうらやましい」という相談がよく入ります。


 人は周囲と比べたがります。比べる気持ちがあなたを苦しめます。

 「小確幸」という言葉があります。小説家の村上春樹さんの造語です。
 これは、「小さいけれども確かな幸せ」という言葉の略語で、人生あまり欲を持たなくても、小さいながらも確かな幸福を感じて生きていけばそれなりになんとかなるという意味なのだそうです。「冬の夜に猫が布団に入ってくる瞬間」など。
 仏教にも「少欲知足」(しょうよくちそく 欲を少なくし、足りている事を知るという事)という言葉があります。
 今の生活を変えたり、新しい事をはじめたり、というのはなかなか難しいものですし、またそれが幸せに直結するかわかりません。もっともっとという気持ちにはきりがありません。だからこそ、今の生活の中で「小確幸」を探す事、足りていると感じる事が大切なのです。

http://hasunoha.jp/questions/12628
http://hasunoha.jp/questions/13949




平成28年11月の門前掲示


「ふつうの日、おめでとう」


 焼酎のCMの言葉です。

 東京ディズニーランドでコーヒーカップの遊具(アリスのティーパーティ)に乗ると「ハッピーアンバースデー(何でもない日おめでとう)」と声をかけてもらえますね。

 「日日是好日」(にちにちこれこうにち)という言葉があります。
 晴れの日でも、雨の日でも、良い事があった日も、イヤな事があった日も、それはもう二度と来ない大切な一日なんだ、って事です。

 今年もあと2ヶ月となりました。一日一日をただぼんやりと過ごすことなく、大切に過ごしたいものです。



平成28年10月の門前掲示


「愚痴はどんなに高尚な内容でも、また、いかなる理由であっても決して役には立たない」


 アメリカの思想家、ラルフ・ワルド・エマーソン氏の言葉です。

 「高尚な内容の愚痴」とはどういうものか分かりませんが(笑)、愚痴の気持ちは何の役にも立ちません。

 仏教では「愚痴」は、「貪欲(とんよく)」(むさぼり)「瞋恚(しんに)」(いかり)と合わせて「三毒」といわれ、人間の煩悩の中でも特にたちの悪いものとされます。

 いやなことや、納得できないことにも、それが起こる理由があり、様々な縁起によって起こっています。だから我々は、文句を言うだけではなく、それが起きた理由や、それが起きた縁起を知ろうとすることも忘れてはなりません。そうすることによって、我々は愚痴の状態から離れることができ、愚痴を漏らすこともなくなってくるのです。



平成28年9月の門前掲示


「あとじゃできねんだよなぁ 今のことは 今しかできぬ」


 相田みつをさんの言葉です。
 9月になりました。学生の方は夏休みが終わりましたね。
 私は、小学校の時、夏休みの宿題を「あとでやろう」と思って、ためこんでしまったものでした。
 「あとでやろう」と思っても、なかなかできないものです。やらなくてはならない事は、「面倒だなぁ」とか「あとで」などと思わずに、今やってしまいたいものです。

 今できることは、今しかできないんです。明日は明日やることがあるんです。常に今に集中し、今を大切にしよう。



平成28年8月の門前掲示


「自分の利害を先に考えるとき善悪の判断に迷いが生じる」


「明るい暮らしの標語カレンダー」2015年6月の言葉です。

カレンダーには以下の解説がついていました。
『物事を正しく判断する為には、その事をありのままに、公平・公正に見ることが大切ですが、これが簡単なようで、実際にはなかなか難しいものです。
 人間は誰でも、多かれ少なかれ、我欲というものを持っており、物事を自分中心に考える傾向があります。それ故、事実を事実として見るよりも、むしろ自分 に都合がよいことか、否か、というような捉え方をしてしまいます。特に、自分の利害に直接関係するようなことに対しては、利己心がゆれ動き、善悪の判断に 迷いが生じ、そのために判断を誤ることも多いです。
 物事をありのままに見るためには、我欲や自分の利害を離れて客観することが何よりも重要だと思います。つまり、自分にとっては都合がよくても、「相手の 立場からすればどうだろう」とか「多くの人に迷惑がかからないだろうか」というような客観的な物の見方が求められるのです。常に余裕のある心をもって、物 事の善悪を見極めたいものです。』

まさにその通りだと思います。自分の利害を離れ、相手の事を考え行う、とても大切な事だと思います。




平成28年7月の門前掲示


「他人の過失を探し、常に怒っている人は、煩悩の汚れが増える。」


 「法句経」からです。常に人の上げ足取り、言葉尻をとって、鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てる人がいます。

 現在、参議院議員の選挙運動が行われています。候補者の選挙演説などをみていると、政策を語らず、他人の言葉を悪い方向に勝手に解釈したり、すでに解決済みの出来事を今になって持ち出して批判する人が見受けられます。

 日常生活の中でも、他人の言葉を悪い方向に勝手に解釈したり、すでに解決済みの出来事を今になって持ち出して大きな声で批判する人っていますよね。そのような人は、自分から進んで煩悩の汚れを増やしているようなものです。そのような発言は相手にせず、その人から距離をおくようにし、あなた自身はそのようなことをしないように注意し、身を慎みましょう。



平成28年6月の門前掲示


「偽りを言わず、悪口を言わず」


 仏教の戒律に「不妄語戒」(ふもうごかい)=嘘を言ってはいけない、があります。嘘は人を傷つけます。言わないようにしましょう。
 悪口も、本人がいる前でもいないところでも慎みましょう。



平成28年5月の門前掲示


「私のものさしで 問うのではなく 私のものさしを問うのです」


 「ものさし」というのは、ふつう寸法を測る定規のことを言いますが、ここでは、人の持つ価値判断の基準の事をいっています。例えば頭がいい人が立派とか、身長が高いとカッコイイとか、人は自分の頭の中で、他人をそのような「ものさし」ではかり、判断をしてしまいがちです。

 しかし、そのあなたの「ものさし」は本当に正しいのでしょうか?本当に「頭のいい人が立派で、頭の悪い人が立派でない」といえるでしょうか?そうでない場合もたくさんありますよね。
 ご自分の持っている基準でものごとを判断するのではなく、自分の持っている基準は本当に正しいのか、問い直してみる事も大切です。

 莫妄想(まくもうぞう 妄想することなかれ)という言葉があります。
 仏教的な「妄想」とは、「二見にわたる分別心」をいいます。「莫」は、ない、ということです。
  人は、「損・得」「長・短」「清潔・不潔」「善・悪」「明・暗」など、物事を二つの事象に分けて認識したがりますが、その境目はどこでしょう?そう、境目などないのです。それに気づきなさい、分け目を取り払いなさい、ということです。

 あなたの「ものさし」はどうでしょう。。



平成28年4月の門前掲示


 悪いところは誰でも見つけられるけれど、いいところを見つけるのは、そのための目を磨いておかないとできない。

 映画監督、黒澤明さんの言葉です。

 他人や自分の悪いところ、イヤな所を探すのは、とても簡単な事です。誰にでもできます。
 でも、良いところはどうでしょう?他人の事も、自分の事も、良いところを見つけるのは、なかなか難しいものです。

 私は今、「hasunoha」という、お坊さんが悩みの相談を受け付けるインターネットサイトで、回答僧としてお手伝いさせて頂いていますが、そこには「自分の良いところが見つけられません」という悩みがたくさん寄せられます。
 私は、その問いに対して、「他人の良いところを見つけてみてください」と答えるようにしています。
 他人の良いところを見つけることが、自分の良いところを探す訓練になると考えているからです。

 私が大学生の時、一緒にアルバイトしていた友人が辞めることになり、その友人は、最後の日に一緒に働いていた人全員にお手紙を渡していました。私も頂きました。お手紙の内容は、「あなたの良いところはこういう所です」というものでした。多分全員の良いところを探し、手紙に書いてくれていたのでしょう。
 頭も良く、常に前向きな人だったので、なるほど、人の良いところを探して伝える事で、頭も心もよくなるんだなぁ、と感心したことを思い出しました。

 みなさんも是非、常に人の良いところを探してみてください。それが、あなた自身の良いところ探しにつながり、良い心を持つことができると思います。

hasunohaについてはこちらから。



平成28年3月の門前掲示


 「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる

 井上雄彦さんのマンガでアニメにもなった作品「スラムダンク」からの言葉です。2ヶ月連続でスラムダンクになってしまいました。

 人生には様々な勝負所がありますが、常に勝ち続けるというのは難しいものです。
 常に勝ち続けているように見えている人がいますが、その人たちだってどこかで挫折があったはずです。
 それでも大きな失敗がない人というのは、見ていると何か自信満々で薄っぺらく見えることがあります。

 負けてしまった時はとても辛く悲しいものですが、それをバネにがんばってみるといいと思います。
 また、負けた経験は人を強く優しく、そして深くします。

 受験生のみなさん、結果はどうだったでしょうか?
 もし思い通りにいかなかったとしても、その悔しさ・辛さをばねにして、「もうだめだ」なんて思わず、新しい場所でさらにステップアップしていきましょう。
 また、もし「常に自分は成功している」と思っている人は、「負けた人のおかげで勝てたんだ」と謙虚な気持ちを忘れないでいてください。



平成28年2月の門前掲示


 あきらめたら そこで試合終了ですよ

 井上雄彦さんのマンガでアニメにもなった作品「スラムダンク」からの言葉です。

 「あきらめる(諦める)」は、元々仏教の言葉で、真実を明らかにするという意味です。
 現在では、望んでいることが実現できないと認めてそれ以上考えたりすることをやめる(新明解国語辞典)といった意味で使いますね。

 できない理由、やらない理由を考えるのはとても簡単です。そのような妄想に負けたら終了なのです。
 できないと思わず挑戦しつづけていこうではありませんか。

 受験のシーズンです。受験生のみなさん、最後まであきらめずに挑戦してください。



平成28年1月の門前掲示


ほかの人の幸せを願う気持ちを幸せという

 御誕生寺、板橋興宗禅師の言葉です。
 仏教に「利他」という言葉があります。他の人の幸せを考える行為の事です。
 この利他行には、4種の行いがあるとされており、利他行こそが自分を幸せにする近道だとされています。
 その4つの行いとは、「布施」「愛語」「利行」「同事」をいいます。
 「布施」は、お寺に「取られる」ものではなく、ほどこしの心をいいます。自分の持っている知識でも財物でも経験でも、惜しむことなく他者のために使うことです。
 「愛語」は、思いやりの言葉を発する事です。長所はほめ、短所欠点は慈愛することです。道元禅師は「愛語能く廻天の力あることを学すべきなり」と言っています。愛語には天地をひっくり返すほどの力がある、と。
 「利行」は相手の利益を優先することです。そしてそれに対するお礼などは全く期待しない行為です。
 「同事」は相手の気持ちになってみる事です。

 これらの行いをすることで、結果として自分が幸せになれるのです。

 うそだと思ったら、まずやってみるといいですよ。きっと幸せになりますよ。




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