平成31年・令和元年の門前掲示


令和元年 9月の門前掲示


 「怒りは 自分に盛る毒」

 アメリカのインディアン「ホピ族」に伝わる格言です。

 仏教では「怒り」は、「むさぼり」の心、「おろかさ」(真理に対する無知)の心と並び「三毒」といわれ、克服すべき3つの煩悩のひとつにあげられています。
 偶然にも「毒」という言葉を使っていますね。

 怒りは自分を見失い、また怒りにまかせ怒鳴ったり誹謗中傷を行ったりすることで、信頼を失います。
 お釈迦さまは、「怒らないことで怒りに打ち勝て」とおっしゃっています。怒りを捨て、常にやさしい気持ちでいたいものです。



令和元年 8月の門前掲示


 「自分のことしか 考えられない人を 鬼という」

 「鬼」というと節分を思い出す人が多いと思いますが、「お盆」や「お施餓鬼」も「餓鬼」という鬼が関わっています。
 「餓鬼」とは、生前、貪りばかりで物惜しみをし、嫉妬深い者が死んだ後に行く世界とされています。

 「お盆」や「お施餓鬼」は、この「餓鬼」に供養することで、先祖供養となったり、自分の長寿を祈ったりする行事です。

 是非、「お盆」「お施餓鬼」を通して自分の事しか考えられない心=「鬼」の心を反省したいものです。




令和元年 7月の門前掲示


 「拍手されるより、拍手する方がずっと心が豊かになる」

 高倉健さんの言葉からです。
 「ぼくの仕事は俳優だから、よくひとから拍手される。でも、拍手されるより、拍手するほうが、ずっと心がゆたかになる。」

 仏教に、「四摂法(ししょうぼう)」・「四枚の般若(しまいのはんにゃ)」という言葉があります。お釈迦さまの4つの大切な智慧という意味です。そのなかのひとつに「愛語」があります。
 「愛語」とは、相手に優しい言葉をかける、という意味です。
 愛語は、かけてもらえばうれしいですよね。そしてかけた方は心が豊かになります。

 相手に拍手を送る、というのは、高倉健さんらしい「愛語」の表現方法だなぁと思いました。



令和元年 6月の門前掲示


 「となりの芝生を 青いとみるか 枯れたとみるか うらやんだり さげすんだり」

 昨年仏教伝道教会主催「お寺の掲示板大賞2019」という企画があり、その中で応募があった作品のひとつです。京都市下京区、本山仏光寺さんにおいて6月5日に掲示されていたものです。

 私たちは他の人と比べ、自分が劣っていればうらやみ、自分が優れていれば相手を蔑んでしまうものです。
 これは、比べる気持ちがあるからです。仏教ではこれを「慢」といい、煩悩のひとつとされます。
 常に努めはげみ、自分に自信を持てば、比べる必要がなくなります。



令和元年 5月の門前掲示


 「人間、志を立てるのに 遅すぎるということはない」

 イギリスの政治家で首相も務めたスタンリー・ボールドウィン(1867〜1947)の言葉です。
 ボールドウィンが40歳の時に政治家である父親が亡くなり、後を継いで立候補しようとしたときに、周りから「遅すぎる」と言われて、ボールドウィンが答えた言葉です。

 人生をやり直すことは出来ませんが、人生を新しく始めることはできます。いくつになっても、いつからでも始めようと決意したときが始め時です。
 時代が平成から令和にかわりました。これを機会に、決意を新たにしたいものです。 



平成31年 4月の門前掲示


 「過去が希望をくれる」

 平成19年(2007年)に放送された「仮面ライダー電王」という番組に出てきた言葉です。
 過去に飛んだ怪人(イマジン)を「仮面ライダー電王」が過去まで追いかけきて倒す、というお話でした。
 この番組の中で、ストーリーの全体の伏線として、たびたびこの言葉が使われていました。
 
 調べてみましたら、イギリスの政治家、チャーチルに、『未来のことは分らない。しかし、我々には過去が希望を与えてくれるはずである』という言葉があり、それを参考にしたのではないかと思いました。
 「仮面ライダー電王」のお話の中で、「過去」において怪人によって破壊されてしまったものも、すぐに回復されます。これは「覚えている人がいれば、消えることはない」という物語中のルールによるものですが、まさに私たちは、過去の記憶によってさまざまなご縁とつながり、それが消えることはありません。過ぎ去った「過去」なんてもうどこにもないのに、です。過去の記憶(思い出)が糧となり、未来への希望につながっているのです。
 「平成」が今月をもって終わり、新しい時代がやってきます。私たちはこの新しい時代を過去から希望をもらって進んでいきたいものです。



平成31年 3月の門前掲示


 「当たり前だと 思っていた事が そうでなかったと 気づいた時 人生は輝く」

 生活していると、身の回りで起こっていることが、なんでも当たり前のように思えてきます。
 親の存在、子の存在、奥様の存在、ご主人の存在、屋根のある所に暮らしていること、スイッチを押せば電気が付くこと、蛇口を回せば水が出ること、働き先があること、空気があって呼吸ができる事、食べ物があること。そしてあなた自身の存在。
 よく考えれば、当たり前のようでいて当たり前じゃない事にすぐ気づくでしょう。
 当たり前だと思っていた事が、実はとても有り難い事だったのです。

 それに気がついたとき、ものの見方ががらりとかわります。



平成31年 2月の門前掲示


 「きみも たくさんの命に 支えられている」

 宮下真 「ブッダがせんせい」から。
「いのちは いちばん 大切なもの きみも たくさんの いのちに ささえられている」という言葉からの抜粋です。

 最古の仏典のひとつ「スッタニパータ」に「母親がわが子を命がけで守るように、すべてのいのちあるものに限りない慈しみの心を持つべきである」とあります。

 2月15日はお釈迦さまが入滅された(お亡くなりになった)日とされています(涅槃会)。この涅槃会を機に、いのちの大切さについて改めて考えたいものです。



平成31年 1月の門前掲示


 「毎日を大切に生きる」

 玩具コレクターの北原照久さんがfacebookにて紹介した言葉です。
 以下の通り北原さんの解説が続きます。
 『生きているということは、確実に死に向かっているということです。そう考えると、大切に生きなければけないという気持ちになりますね。怒ったり、うらんだり、グチったりするより、いつも感謝の気持ちをもって、わくわく生きた方がいいです。友人の個性心理学の弦本將裕さんは、「僕たちは死ぬまで死なない!」「時間=命」と言っています。まさしくそのとおりですね。』

 仏教の禅語に「日日是好日(にちにちこれこうにち)」という言葉があります。
 「良い日」「悪い日」などなく、毎日がかけがえのない大切な日だ、という事です。  新年を迎えました。一日一日を大切に生きたいものです。



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