令和2年の門前掲示


令和2年12月の門前掲示


 「優しい言葉ひとつで冬じゅう暖かい」 


 ネット(カーネギー名言集)で「日本のことわざ」として紹介されていますが、聞いたことがないので調べてみると、
 中国のことわざ「良言入耳三冬暖」(良い言葉が耳に入れば、冬の三ヶ月間暖かいといった意味か)が出所のようです。
  この言葉は、「悪語傷人六月寒」(悪い言葉は人を傷つけ6月でも寒いといった意味か。※中国では6月が一番暑いらしい)と続きます。

 曹洞宗には「四枚の般若」という教えがあります。4つの菩薩(悟りを目指す者)の行いという意味です。そのひとつに「愛語」があります。
 「愛語」とは「優しい言葉」という意味です。曹洞宗の開祖道元禅師は、「むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こゝろをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。」(面と向かって愛語を聞くと、喜びが顔に表れ心は楽しくなるし、面と向かわず人づてなどの間接的な形で愛語を聞くと、肝に銘じ魂に深く刻み込まれるような思いをするものです)とおっしゃっています。

 優しい言葉、慈悲のある言葉を聞くと、心が暖まりますよね。是非優しい言葉をかけあい、冬じゅう暖かくすごしたいものです。







令和2年11月の門前掲示


 「人は 現実に進んだ道を 『正解』にしちゃえば いいんですよ」 


 落語家の林家木久扇さんの言葉です。
 仏教では因果を説きます。起こった結果には必ず原因があると言う事です。ですので、実際に起こった事は、まさに因果の「正解」が発生したという事になります。
 俳優の故・津川雅彦氏も「起きたことは全て正しいと思って前を向いて進め。偶然はない、必然なんだ」とお子様に言って育てていたというエピソードもあります。
 とはいっても、「あのときああしていればこうしていれば」と後になってから考えてしまいがちですよね。でもね、思い返してみると、その時はそれが最善の方法と思って進んだはずなのです。
 「現実に進んだ道を正解にしちゃえばいいんだよ」という言葉は、前向きでいいですね。成功でも失敗でもこれは正解だった、やってよかったという言葉は元気づけられますね。







令和2年10月の門前掲示


 「猫をしかる前に 魚をおくな」 


 大本山總持寺元貫首、板橋興宗禅師の言葉です。
 板橋禅師さまは今年7月にご遷化(逝去)されましたが、私が本山修行時代に總持寺貫首をつとめており、ご縁のある禅師さまです。
 この言葉は、禅師さまが總持寺を退董(引退)後、住職をつとめていた「御誕生寺」が発行していたカレンダーに書かれていた言葉です。

 仏教では因果を説きます。物事が起こるときには必ずその原因があるという事です。猫が魚を盗んだ結果をみて、猫をしかるのではなく、もとより原因となる魚を置くべきではなかったのです。
 私たちは、いつも結果を見がちですが、悪い結果には、必ずそうなった原因があります。私たちはそれを見極め反省し、良い結果が出るようによい行いをしたいものです。

DIAMOND online で解説をいただきました。
https://diamond.jp/articles/-/252740

公益財団法人仏教伝道協会主催
「輝け!お寺の掲示板大賞2020」にて
「仏教伝道協会賞」を頂きました
https://www.bdk.or.jp/kagayake2020/publication.html 






令和2年9月の門前掲示


 「敵と戦う時間は短い 自分との戦いこそが明暗を分ける」 


 元プロ野球選手、王貞治さんの言葉です。

 お釈迦さまの言葉(ダンマパダ)に
 「自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている」とあります。
 「自己に打ち克つ」とは、なまけ心に負けずに、一生懸命おこなう事だと思います。
 どんなに実力があっても、自分を律することができなければ、その力を発揮することはできません。

 昭和のお茶の間を湧かせたスーパースターであった王貞治さんも、見えないところで、日々精進していたのだと思います。

 私たちも、コロナ禍の中で、「コロナだからしかたがない」と、つい自分を甘やかす気持ちが出てしまうと思います。
 私の場合だと食べちゃったり、運動をサボったりって事です。そのような気持ちが出るのは一瞬です。そんな自分に克てるかどうか、それがこれからの明暗(太るかやせるか)を分けると思います。






令和2年8月の門前掲示


 「人に会ったら ひとつほめよう」 


 新型コロナウィルスの流行により、人に会う事が少なくなりました。
 いままではいつでも会えていたような人も、なかなか会えません。
 せっかく会う事ができたとしても、次に会うまでに時間が今まで以上に長くなります。
 イヤな気分で別れたら、次に会うまでの長い時間をイヤな気持ちで過ごさなくてはなりません。
 良い気持ちで別れたら、次に会う日まで、その思い出を大切にして過ごすことができます。

 茶道に「一期一会」という言葉があります。人に会う機会を大切にし、また、これが最後になるかもしれないという気持ちで人には接しなさい、という意味で使われます。
 仏教に「愛語」という言葉があります。あたたかい心のこもった言葉をかけることです。

 人に会うチャンスがあったら、帰るまでにひとつは相手をほめてみましょう。きっと気持ちよく過ごすことができますよ。






令和2年7月の門前掲示


 「ピンチの数が多い方がよく売れます」 ニトリの店員

 昼のテレビ番組で、どのような商品が人気があるのか、という特集を組んでいて、「ピンチが多い方がよく売れます」と言っていました。
 もちろん「ピンチ」とは、洗濯ばさみの事です。ピンチ付き洗濯ハンガーは、ピンチの数で売れ行きが違うそうです。

 私たちは、ピンチ(追い詰められた苦しい状況)を避けて生きたいものですが、なかなかそうはいきませんね。
 それに、ピンチの数が多かった人の方が、人間として深い人物になれると思います。
 ピンチに遭ったら「ピンチの多い方がよく売れる」と思うようにすると良いですね。

 7月から「輝け!お寺の掲示板大賞2020」が始まりましたので、それを受けて今月はちょっと飛んだ言葉を書いてみました。
 https://www.bdk.or.jp/kagayake2020/







令和2年6月の門前掲示


 「慣れても 慣れるな」

 6月になりました。新しい生活にも慣れてきた所でしょうか。
 しかし、慣れてしまうと緊張感が薄れ、惰性で行ってしまいがちです。

 学校生活においても、お仕事においても、人間関係においても、そして自動車の運転も、どんな事でもするべき事を覚え、慣れることは大切ですが、習慣となりなれ合いになると、惰性になりがちです。気をつけましょう。
 また今は、新型コロナウィルスが流行していて、対策や自粛生活にも慣れがきていると思います。まだ完全に終息したわけではありません。慣れることなく気を引き締めて生活したいものです。






令和2年5月の門前掲示


 「自分が元気になる一番の方法は、他の誰かを元気にすることだ」

 アメリカの小説家、マーク・トウェインの言葉です。

 人のためになることをすると幸福度が増すという事は、科学的にも証明されているそうで、イギリスのケンブリッジ大学において、参加者に朝、一定のお金を与えた上で、グループを二つに分け、一つのグループは自分のために、もう一つのグループはほかの人のために午後5時までに使わせる、という実験をしたところ、ほかの人のために使ったグループの方が、幸福度が有意に上昇した、という結果がでたそうです。

 仏教には「自利利他円満」という言葉があります。自利とは自分の利益のこと、利他とは他人の利益のことをいいます。自分にとって善いことが他人にとっても善いことにつながるという意味です。
 曹洞宗の開祖、道元禅師も「他人の利益を先とすると、己の利が損なわれてしまうと考えがちであるが、そうではない」とおっしゃっています。

 理屈抜きで、他の人のためになる事をするのは気持ちの良いものです。是非お友達を元気にして自分も元気になりたいものです。






令和2年4月の門前掲示


 「今日という日は今日限り 」

 新型コロナウィルスの流行により、楽しみにしていた行事が中止になってしまったりして、家にいる事が多くなりがちな方が多いのではないでしょうか。
 そんな日は、ついぼんやりテレビを見てしまったり、テレビゲームをしてしまったり、時間を無駄に使ってしまいがちです。

 「今日という日は今日限り」は、幕末の武士、吉田松陰の言葉です。ある年のお正月、兄の杉梅太郎から「今日ばかりは一日だけ学問を休もう」と提案したところ、松陰は「今日という日は今日限りで消えていきます。この貴重な今日を無駄に費やすことはできません」と答えたそうです。

 当然の事ながら、今日という日は今日しかありません。昨日も今日も見た目はそっくりかもしれませんが、全く違う日です。そして昨日はもう消えてなくなっています。一日いちにちを大切にしたいものです。






令和2年3月の門前掲示


 「なにもないから なんでもできる」

 ニンテンドースイッチ「あつまれ どうぶつの森」のCMで使われていた言葉です。

 ゲームの内容についてはよくわかりませんが、CMによると、このゲームは最初は何にもない島なのですが、それを自分の好きなようにカスタマイズしていくゲームのようです。

 わたしたちは、つい持っていないことを理由に「できない」と思いがちですが、実は何も持ってないという事はとても身軽であり、何でもできる可能性を秘めているんだと思います。そもそも私たちは裸一貫でこの世に生まれてきたんです。

 卒業のシーズンで、この春から新しい生活をはじめる人もいるでしょう。
 何もないところから、何かをはじめるというのは、不安もあると思いますが、とても素敵な事だと思います。

 ぜひ、なにもないから、なんでもできるんだ、と思って頑張ってみてください。






令和2年2月の門前掲示


 「鬼はおらん 鬼をつくる心がこっちにある」

 浄土真宗の僧侶、仲野良俊の言葉です。
 節分の夜に「鬼は外」と言って、外に向かって豆をまきますが、実は「鬼」は自分の中で作り出しているのです。
 自分の心の中にある、愚痴の心、ねたみの心こそが鬼なのだと思います。

 息子が保育園に通っていた時の話ですが、節分の日の夕方、息子を迎えに行ったらみんな頭の上に紙で作った鬼のツノを付けていました。話を聞くと「ぼくは、食いしん坊オニだ。○○ちゃんは泣き虫オニなんだ」などと言っていました。節分の行事と遊びを通して先生が、自分の中の「オニ」を探しだし、それを退治するという教えをしていたんだと思います。良い思いつきだなぁと感心したことを思い出しました。(ツノがガムテープで付けられていて、家に帰ってから取るのに苦労しました)

 最後にこんな言葉も。 『ぬけぬけと 「鬼は外」とは その口で』





令和2年1月の門前掲示


 「今から始めてみればいいじゃない」

 アイドルグループ「嵐」さんの「A・RA・SHI」という楽曲の歌詞からです。
 昨年の年末、いろいろなテレビ番組をはしごして見ていたのですが、NHKの紅白歌合戦を見ていたら、この歌詞がちょうど目に入りました。
 そうだよな、いままでダメでも、今、ここからはじめればいいんだよね、と思いました。

 歌の中にこんな歌詞もありました「勇気を出して今飛び立とう」

 令和2年新しい年をむかえました。何かを始めるには良い機会です。勇気を出して、今からはじめてみればいいじゃない。




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