令和3年の門前掲示


令和3年6月の門前掲示


 「今ある人生 それが全てですな


 朝の連続テレビ小説「おちょやん」からです。
 昭和初期から中期に活躍した喜劇役者浪花千栄子さんをモデルにしたドラマで、主人公「竹井千代」が、様々な苦難を乗り越え力強く生きていく様子を描いたものでした。
 このセリフは、ドラマの終盤、事情があり分かれた元夫(天海一平)と一緒に舞台で芝居をするという場面があり、その中で千代の提案で付け足したものです。このドラマの中では、たびたびドラマの中で起こっていることを、役者として舞台で行うお芝居に投影させて演じるという手法がとられていて、このセリフも、その時の竹井千代と天海一平の様子を表していたものといえます。

 「もし、あのまま私ら一緒にいてたらどないな人生があったやろか」
 「そないなこと、考えてもしゃあないがな」
 「そうですな。今ある人生、それがすべてですなあ」

 私たちは、過去にもどってやり直すことはできません。「ああしていたら こうしていたら」と考えても、それはどうしようもない事です。
 また、もし過去に戻ったとしても、結局同じ選択をすると思うのです。今振り返るとまずいと思う選択であっても、その時としては最善の選択をだったはずだと私は思うのです。

 あとから後悔のないように、今を全力で生きて、今ある人生が全てなんだなぁと思える生き方をしたいものです。









令和3年5月の門前掲示


 「自分に欠けているものを 嘆くのではなく 自分の手元にあるもので 大いに楽しむ者こそ 賢者である」 古代ギリシャの哲学者 エピテトス


 仏教に「小欲知足」という教えがあります。欲を少なく、足りていると感じる、という事です。
 これは我慢辛抱をしなさい、という事ではなく、自分にとってホントウに何が必要で何が不要かをきちんと判断すれば、そんなに欲張る必要はないはずだよ、という教えです。
 私たちは、いつもあれが欲しいこれが欲しいと欲求欲望に満ちた生活をしがちですが、改めて考えてみるとそれらは本当に必要なものなのでしょうか。実は現状にあるもので充分なのではないのでしょうか。

 さて今はコロナ禍で、いろいろな行動が制限されています。あれができないこれができないと嘆くのではなく、この状況の中でもできることを探し、それで充分楽しむようにしたいものです。






令和3年4月の門前掲示


 「ああなんて素敵な日だ 幸せと思える今日も 夢やぶれ挫ける今日も」 Mrs. GREEN APPLE - 僕のこと


 ロックバンド「Mrs. GREEN APPLE」さんの「僕のこと」という楽曲の歌詞からです。

 仏教には「日日是好日(にちにちこれこうにち)」という言葉があります。
 これは「毎日いい日が続いてけっこうなことだ」という意味ではなく、「一日一日がかけがえのない大切な日だ」、という意味です。
 私達は、天気や、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そのような理由で「今日は良い日だった」「悪い日だった」と考えがちです。しかしこれは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。
 日々是好日とは、そのようなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地を示しています。

 禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。
 目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
 その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。






令和3年3月の門前掲示


 「磨いても磨いても光らなかった でも腕力はついた 」 


 受験生の方は、そろそろ合格発表も終わり、進学先が決まったことでしょう。
 希望の進学先に進めなかった人は「今までの努力が無駄になった」などと思ってしまうかもしれませんが、進学先が思い通りにならなかっただけであり、今まで学習してきたことが消えてしまうわけではありません。学習したことはしっかりあなたの身についているはずです。また、「目標に向かって努力する力」もついたはずです。
 希望の進学先に行けなくても、学習の内容、努力の事実は消えませんし、将来役に立つときがきます。

 勉強ばかりでなく、仕事や習い事なども、頑張っても結果として認められない事もあります。そのような事の方が多いです。でもがんばった事実が消えることはありません。日々精進したいものです。






令和3年2月の門前掲示


 「仏教で『滅』は『コントロール』の意 私の心の鬼は 滅(コントロール)できているだろうか」 


 2月15日は、涅槃会(ねはんえ)といって、お釈迦様が「入滅」(にゅうめつ。なくなった日)された日です。

 「入滅」の「滅」と、節分の「鬼」にちなんで、この言葉を書いてみました。
 (ちなみに私は今流行のアニメ映画「鬼滅の刃」はまだ観ていません)

 仏教の教えのひとつに「苦集滅道」があります。
 「苦」とは、「思い通りにならない事」を意味します。(「苦しい」の意味ではない)
 「集」とは、「苦」の原因に関する真理をいいます。原因を自己の内部に見いだそうという事です(煩悩)。
 「滅」とは、「抑え込む、制御、コントロール」の意味です。「苦」の原因である煩悩をコントロールしなさい、という事です。(なくす・消滅させるの意味ではない)
 「道」とは、煩悩をコントロールする方法(八正道。 正見 正思惟 正語 正業 正命 正精進 正念 正定)を示しています。

 今年大学生になった息子が、私が節分の豆まきをしている横で、「『鬼は外』なんて言わずに、鬼とうまくつきあうようにすれば良いのにねぇ」と言っていましたが、まさにその通りで 心の中の鬼である、愚痴の心、妬みの心といかに共存しいかにコントロールするか、それが大切な所だと思います。今流行している新型コロナウィルスについても、完全に排除することを考えるばかりでなく、いかに共存しコントロールしていくかを考えていきたいものです。







令和3年1月の門前掲示


 「一日に 一字学べば 三百六十字 吉田松陰」 


 吉田松陰の言葉です。「一日一字を記さば、一年にして三百六十字を得、 一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う」とあります。

 どんなに小さな事でも、毎日続ける事で、大きな効果を得ることができます。
 一日にたったひとつ覚えるだけでも、一年後には365個の事を覚えることができるのです。
 新年を迎えました。なにか新しいことを少しずつで良いので挑戦してみてはいかがでしょう。