「朝 起きたら 汚れていなくても 顔を洗う」 朝起きて顔を洗う習慣は、今の日本ではだれもが当たり前のようにしていると思いますが、日本でこの習慣を勧めたのは、曹洞宗の開祖道元禅師だったといわれています。 曹洞宗の開祖、道元禅師は、「正法眼蔵 洗面」の中で 「ただ垢膩をのぞくのみにあらず、仏祖の命脈なり。いはく、もしおもてをあらはざれば、礼をうけ他を礼する、ともに罪あり」 ((顔を洗うということは、)ただ垢を除き脂を除くというばかりでなく、真理を体得した諸先輩の生命である。たとえば、もし(まだ)顔を洗っていなければ、(自分が)礼拝を受けたり自分以外の者を礼拝することは、宗教上避難の対象となる)と示されています。 顔が汚れていなくても、顔を洗うのは、修行のひとつであり、相手に対する礼儀である、ということだと思います。 寒い日が続き、顔を洗うのもおろそかになりがちですが、洗面は修行であり、相手に対する礼儀と心得て、丁寧におこないたいものです。顔を洗うとすっきりしますしね。 |
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「弟子に準備ができた時、 師が現れる」 チベットの格言 チベットの格言です。 例えば、私たちが自分の夢を叶えるために「すごい先生に会いたい!」と願っているとしましょう。 自分がその夢に向かって努力しているならば、その機が熟したとき(準備ができた時)にその先生が現れる、というのです。 逆に素晴らしい先生に出会ったとしても、自分の準備ができていなかったら、その人が先生だと気がつかずに素通りしてしまいせっかくのチャンスを逃してしまうかもしれません。だとすると、私たちはいつでも準備ができているという状態でいたいですね。 学びの師ばかりでなく、友人や異性などとの出会いも、常に自分を磨き、アンテナを高く張ることで、そのチャンスが広がるものと思います。 新年を迎えました。夢に向かって、素晴らしい師や仲間と出会えるために、常に準備をしておきたいものです。 |
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