令和6年の門前掲示


令和6年9月の門前掲示


「実らない努力はあっても 無駄な努力はない」

 この言葉は、私も回答僧として参加させていただいている、お坊さんによるお悩み相談サイト「hasunoha」の中で、「実る努力と実らない努力の違いは何でしょうか」という問いに対して答えたものです。

 部活や受験や就職、仕事上での成果など、一生懸命に努力しても、結果として残すことができなかった、という事はよくある事だと思います。これを「実らない努力であった」「無駄な努力であった」などと片付けてしまうのは私は違うと思います。結果として残るものはなかったとしても、努力している時に身についたものが消えてしまうことはありません。この時身についたものが次には結果として出る可能性もありますし、思わぬ所で役に立ったりするものです。

  いままでがんばってきたことが無駄になってしまう事なんてありません。
 努力が実らない事があってもがっかりすることはないです。努力した日々を誇りに思いましょう。






令和6年8月の門前掲示


「成功はポケットに手を入れたままではやってこない」 パリ五輪射撃 銀メダル ユスフ・ディケッチ 選手


 ラフな服装で片手をズボンのポケットに入れる射撃スタイルが「無課金おじさん 」と話題になった、パリオリンピック 射撃トルコ代表 銀メダル ユスフ・ディケッチ選手の座右の銘だそうです。ご自分の射撃スタイルを自ら揶揄した言葉としてユーモア混じりに座右の銘としているものと思います。
 またアメリカの俳優で政治家、アーノルドシュワルツェネッガーの言葉に「ポケットに手をいれたままでは、成功のハシゴは登れない」とあります。

 「ポケットに手を入れる」というのは、「自分にできることがあってもやらない状態」の比喩だと思います。努力なしに成功することはない、「棚からぼた餅」はないという事でしょう。

 仏教では因果を説きます。ユスフ・ディケッチ選手も並々ならぬ努力を続けてきてのオリンピック出場・銀メダルだったと思います。
 私たちも自分のできることは全力でやるよう努力精進したいものです。






令和6年7月の門前掲示


「人の見ていない所で何をしているかが その人の真の姿である」

 周囲の目がないと私たちはついだらだら過ごしがちになりますね。そんな姿が本当の自分なんだなぁなどと思ったりもします。

 まあ時にはだらだらと過ごしてしまうのも良いですが、人の見ていない所で、他人のものを盗もうとしたり、人をおとしいれようとしたり、騒音・ポイ捨てをしたりなど、人に迷惑がかかるような行為をする人がいます。それがその人の正体といえましょう。

 一方で、人知れず仕事場や近所の公園などの掃除をしてくれている人がいると思います。誰も見ていなくても周囲が気持ちよく過ごせるように考えてくれる人、気持ちがいいものです。

 「宝鏡三昧」というお経(洞山良价禅師(807~869)撰)に、「潜行密用は、愚の如く魯の如し」とあります。良い行いは人知れず、愚か者の如く行いなさい、という教えです。

 良い行いをわざわざ見えない所で行うのは、一見愚かなように見えるかもしれませんが、そこを一心に行うのが大事だということだと思います。

 褒められたい、尊敬されたい、良い人と思われたい、などの気持ちをおこさず、人の見ていない所で行う良い行いこそが、自分を磨き、また気持ち良いものだと思います。愚か者の如く行いたいものです。






令和6年6月の門前掲示


「周りの人の支えや助けがあって初めて、物事はうまくいく」 ノーベル賞・山中伸弥さん 

 IPS細胞の研究で2012年にノーベル医学・生理学を賞を受賞した山中伸弥さんの言葉です
 「うまくいくと自分が努力をしたからだとつい思ってしまうものですが、その割合って実は少ない。周りの人の支えや助けがあって初めて、物事はうまくいくんですね」

 仏教では「因果」を説きます。種をまかなければ、芽が出て花が咲くことはありません。しかし、種をまいただけでは芽が出て花は咲きません。水や太陽や栄養などが必要です。これを「縁」といいます。原因(因)と縁がそろって初めて結果が出るのです。
 どんな結果が出るかは、この「ご縁」によるものが大きいと思います。

 良い結果を得るためには、自分自身ががんばらなくてはなりませんが、結果が出たときは、周囲の支援や協力があってはじめて結果が出たことを忘れてはいけないと思います。
 自分だけの手柄とせず、多くの人の支えや助けでうまくいった、という謙虚な気持ちが、山中教授の魅力をさらに大きくしますね。

 私たちも日頃よりご縁を大切にし、良い結果が得られたとき、謙虚な気持ちで周囲への感謝を忘れないようにしたいものです。






令和6年5月の門前掲示


「人に好かれる人になりたいのなら、あなたが人を好きになりなさい」 

 今月の言葉は、少し前に出席させていただいたお葬式の弔辞(お別れの言葉)の中で、故人のお孫さんが故人から教えてもらった言葉として紹介した言葉です。良い言葉でしたので紹介させていただきました。

 まさにこの言葉の通りで、仲間を大事にするような人はみな、人に好かれていると思います。

 これはまあ当然のことで、他人の悪口を言ったり、疑ったり、他人を追及するような人は、絶対に人から好かれることはないですし、また人気者になろうと思って、周囲を見ずに「みんな見て見て!こっちこっち!」などとやっていても誰からも相手にしてもらえないものです。

 人に好かれる人になりたいのなら、友達を好きになることがまず第一だと思います。またこの時に「人に好かれようと思って」という下心があってはいけません。心の底から見返りを求めずに友達を好きになり、思いやりの心を起こし、親切にする事が大切だと思います。

 4月に進学進級就職などで、新しい人間関係がはじまったと思います。仲間を大事にして、好かれる人になりたいものです。






令和6年4月の門前掲示


「自分の力ではどうしようもない事がたくさんある。このハプニングを楽しむしかない」  軟式globe パークマンサー 

 「軟式globe」とは、以前TBS系列で放送されていた『学校へ行こう!』というバラエティ番組に、平成14年に出演していた男女2人組の音楽ユニット。「パークマンサー」は、この軟式globeの男性メンバーの名前です。
 パークマンサーさんは、現在は主に農業に従事していますが、芸能活動も続けているそうです。

 そのパークマンサーさんが、令和4年に受けたインタビューの中で、「(農業を行う中で、)自然を相手にしていると、自分の力ではどうしようもないことがたくさんあるんです。このハプニングを楽しむしかない」言っており、そこからの抜粋です。
 この言葉は、自然を相手にする農業従事者としての言葉ですが、人生においても同じ事がいえると思います。

 仏教は「苦の宗教」と言われることがあります。「苦」とは「思い通りにならない」という意味です。老いや病をはじめ、私たちは思い通りにならない世界にいます。その思い通りにならない世界で、私たちはどのように生きていけば良いのか、その考え方を示すのが仏教です。
 このパークマンサーさんのように、思い通りにならないハプニングを楽しんでしまおう、というのも、ひとつの考え方で良いなぁと思いました。

 私たちが生きていく中で、物事が思い通りにならない事もたくさんあるでしょう。そこを是非楽しんで切り抜けていきたいものです。






令和6年3月の門前掲示


「正射必中」 (正しい射法で射られた矢は、必ず中(あた)る) 弓道の言葉 

 テレビなどで、弓道稽古の様子を見ることがありますが、所作の美しさや緊張感で、見ていて清々しい気持ちになり、また身が引き締まります。

 今月は、その弓道の言葉からです。「正射必中」「せいしゃひっちゅう」と読み、正しく射られた矢は必ず命中するという意味なのだそうです。
 弓道には、矢を射る際に「八節」といって八つの基本動作があるそうです。それを正しく丁寧におこなえば、必ず的に中てることができるという事だと思います。

 仏教では「因果」を説きます。出てきた結果には必ず原因があるということです。裏返せば、原因を正しくすれば、正しい結果がおのずとついてくるという事になります。「正射必中」という言葉は、この因果の教えに通じるところがあると思いました。

 私たちは結果優先で、つい楽な方法で良い結果を得ようとしがちですが、そのようなよこしまな心、ずるい気持ちで物事を行っていては、最初はうまくいくことがあるかもしれませんが、きっとうまくいかなくなる時がきます。正しい気持ちで、丁寧にものごとを行うことで、常に良い結果がうまれるものと私は思います。

 すぐに結果が出なくても、地道に正しい事を続ける人になりたいものです。






令和6年2月の門前掲示


「命をあきらめないでください」 (防災・危機管理アドバイザー 山村武彦氏) 

 令和6年1月1日に発生した能登半島地震によって被害を受けられた皆さまに、心よりお見舞い申し上げますとともに、お亡くなりになられた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

 今月の言葉は、このたびの震災にあたり、テレビの情報番組に出演した防災・危機管理アドバイザー山村武彦氏が、司会者から震災で倒壊した家屋や家具などに挟まれてしまい、身動きが取れなくなってしまった時の対処法について答えた時の言葉です。
 仏教では「あきらめる」は「明らかにする」といった意味で使いますが、ここでは一般的に使われる「断念する」の意味です。
 家屋や家具などにはさまれて身動きが取れなくなっても、もうだめだと断念せずに救助を待ちましょう。生きようとする力が命をつなぎ止めるのだと思います。

 この言葉は、人生においても同じだと思います。私たちは生きている中で、何度も「もうダメだ」と思う局面がでてくるものです。そんなとき、命をあきらめず、他の方法はないかと模索する事が大事だと思います。
 2月15日は「涅槃会」といい、お釈迦さまが亡くなられたご命日と言われています。この涅槃会を機会に、ご自分や周囲の命について見つめ直してみましょう。






令和6年1月の門前掲示


「一日一日を楽しんで」 
   
 今年最初に掲示する言葉は「一日一日を楽しんで」としました。

 仏教には「日日是好日(にちにちこれこうにち)」という言葉があります。
 これは「毎日いい日が続いてけっこうなことだ」などという意味ではなく、「一日一日がかけがえのない大切な日である」、という意味です。
 私たちは毎日毎日同じような日が続くように感じていますが、例えば「令和6年1月10日」という日は、令和6年1月10日を過ぎてしまえば、もう二度と来ることはありません。過ぎてしまえばやり直す事はできません。
 だからこそ、この一日一日を大切に、是非楽しんで生活していただきたいと思うのです。

 令和6年、新しい年を迎えました。この新年を機会に、新しい気持ちで毎日毎日を大切に、楽しんで生活したいものです。











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