写真 | 読み方 | 意味・いわれなど | 作者紹介 | 備考 |
「禅定為屋宅」 為禅明学徒 如水澹主人書 |
為書にある「禅明」は、鳳林寺四世。 「持戒為平地 禅定為屋宅 能生智慧光 次第得明照」 (持戒を平地となし、禅定を屋宅となし、能く智慧の光を生じて、次第に明照を得)とある |
(青島)興庵恵宗(1834~1904) 曹洞宗 石雲院独住5世 焼津林叟院30世 静岡長福寺3世 源昌寺12世 光泰寺18世 |
H27.6.1~6.15 本堂 R0506 本堂 |
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神戸麗山 享和2年(1802)庵原郡松野村の医者好吉の長男として生まれた。 文政9年(1826)家を弟柳恭に譲り京都に上り、岸岱に師事した。 天保11年(1840)には帰郷し、有度山麗に庵を構えた。 |
H28.1.1~3.31 客間 R05.04~06 客間 |
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真 泰舜衲 |
佐藤泰舜(1890~1975) 明治23年(1890) 愛知県南設楽郡東郷村に生まれる。 大正2年(1913)勝楽寺二十八世 昭和30年(1955)長崎皓臺寺住職 昭和34年(1959)永平寺監院 昭和41年(1966)永平寺副貫首 昭和43年(1968)永平寺七十四世貫首・曹洞宗管長 昭和47年(1972)全日本仏教会会長 昭和50年(1975)2月28日遷化。世壽八十六歳。 |
H30.4 寺務室 R0506 寺務室 |
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竹影拂階不動塵 月穿潭底無跡水 |
「菜根譚」に、 「古徳伝、竹影掃階塵不動、月輪穿沼水無痕。 吾儒伝、水流任急境常静、花落雖頻意自閑。 人常持此意、以應事接物、身心何等自在。 」 (古徳伝う、「竹影、階を掃うも塵動かず。月輪、沼を穿つも水に痕なし」と。吾が 儒云う、「水流、急に任せて境常に静かなり。花、落つること頻りなりといえども意 おのづから閑なり」と。人常にこの意を持して、以って事に応じ物に接すれば、心身なんらの自在ぞ。) とある。 昔の名僧が言っている。「竹の影が縁先を掃くが、塵は少しも動きはしない。月の光が沼の底までさしこむが、水に跡を残しはしない」と。 わが国の儒者も言う。「水が激しく流れていても、あたりは常に静かである。花がしきりに落ちるけれども、それを眺めている心は自然にのどかになる」と。 こんな気持ちであらゆる事に対処できれば、なんと身も心ものびのびすることであろう。 |
「如是庵」とあるが不明 | H27.8 事務室 R05.04 新庫裏 |