鳳林寺の宝物

令和 7年 3月の展示


写真 読み方 意味・いわれなど 作者紹介 備考
有田不耕倉廩虚 白楽天の勸學文に、
有田不耕倉廩虚。有書不教子孫愚」
(田ありて耕さざれば倉廩(ソウリン)虚(ムナ)し。書ありて教えざれば子孫は愚かなり。)とある。

  如何に田畑があろうとも、耕さなければ米の倉庫も穀類の倉庫も空になる。如何に蔵書があろうとも、教えてやらなければ子孫は愚かになる。
(久我)環渓密雲
(1817(文化14)~1884(明治17))
 越後の人。俗姓は細谷氏。のち久我氏の姓を嗣ぐ。
 別号を象峰、雪主という。
 12歳、近江清涼寺の寂室堅光について出家し、
のち興聖寺回天に参じ、その法を嗣いだ。
 興聖寺に住し、河内長福寺、和泉蔭涼寺、武蔵豪徳寺を経て、
 明治4(1871)年、永平寺第61世に晋住した。
 当時の洞門で化縁の盛なこと總持寺の奕堂と並び称された。
 明治17(1884)年示寂。世寿68歳。
H25.4.16~4.30 本堂
R2.4 本堂
R7.3 本堂
(題)
春風第一枝

(賛)
清李方膺詩
揮毫落紙墨痕新
幾點梅花最可人
願借天風吹得遠
家家門巷盡成春
甲子年三月仲伯書

(画)梅
清代の画家、李方膺(りほうよう)の詩に、
「揮毫落紙墨痕新
幾點梅花最可人
願借天風吹得遠
家家門巷盡成春」とある。

「甲子年三月」とある。昭和63年に檀家、滝田五郎氏から中国土産で頂いたので、昭和59年(1984 甲子)の作か。
「伯仲書」とある。 H30.1~3 客間
R0701~03 客間
越前國志比庄吉祥山永平禅寺者  
佛法禅師道元和尚開闢之真跡而
賜  勅許紫衣之法窟日本曹洞
根起之大本山也二世懐弉及徹通
到吾先師瑩山四世正法展々支葉
聯綿其徒皆演暢宗乗権實兼行吾
又受瑩山示誨肇得永平之的意也
吾法徒太源通幻無端大徹實峯都
闢於玄門遠邇執法輪枢機諸宗服
膺者如海湧為駆鳥者若雲従嗚呼
世尊正法眼扶桑独赫々者宲
元和尚傑出之故也故児孫深甘永
平之禅味各自知法乳之恩而長應
憶祖山之栄光若教真跡於令著荒
蕪之地者不永平之児孫○菩薩子
勉焉  貞治二年八月二十八日
古佛第五之法孫峨山再礼塔焚香
謹記
※ 「○」は「ム」の下に「先」
平成27(2015)年、峨山禅師650回大遠忌の記念品として大本山總持寺からいただいたもの。
承陽殿前祖山護持塔拓本を縮小し軸装したもの。
H31.3 寺務室
R07.03 寺務室

煙霞不遮梅香 煙霞不遮梅香(えんか ばいこうを さまたげず)

梅の花は、もやや霞のために隠れてはっきりと見えないが、しかし梅のよい匂いは、煙霞にも遮られることなく香ってくる、ということ。

煙霞を様々な障害妨げであったり悩妄想にたとえれば、真に悟れば仏性輝き、煩悩妄想の霧は払われるとも解されるし、
また、人徳は何ものにも妨げられることなく顕われ出るものであるとも解される。
平尾(惠鑑)隆明
静岡市駿河区中吉田普濟寺八世
H27.2.16~2.28本堂
R04.01 新庫裏
R0701 新庫裏


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