鳳林寺の宝物

令和 3年9月の展示


写真 読み方 意味・いわれなど 作者紹介 備考

(十界図)

華厳経云若人欲了知三世一切仏応観法界性一切唯心造云〃夫十界三世の諸法○本来吾心の内○具足せ○○○心○自性○き故○境界○○○○移わかはれハ取作○業因了依○苦楽○果報を感○さ○○殺生偸盗謗法の心○地獄となる慳貪邪見○○ハ餓鬼と○る愚痴耽婬○○ハ畜生とな○驕慢偏執○心○修羅となる五戒十善を行する心ハ人天の因となる独善出離の心を声聞縁覚となる智慧慈悲広大○○○菩薩と○る妙覚果満志了佛となる誠○○法ハ千差万別なれども一心をい○○一切世間中心○○生せさるかな○一念迷ふ時ハ善を転じて悪をなして苦果をうけ○一念悟る時○悪を転じて善を作して楽報○うく善悪苦楽ハ唯人の一心○依れハ吾心を○○此図を○○吾心を照らし六道の因果○厭離し佛○皈○○○○を欣求○○○
彼岸中展示
(画)不動明王  不動明王は、大日如来の使者で、人々の煩悩を断ち切るため奔走しているとされる。 H28.4~6
R3.7~9
客間
賓主歴然 賓主歴然(ひんじゅれきねん)
「臨済録」に出てくる言葉です。

賓とは客であり、主とは主人の事で、その区別が歴然としている。主人はあくまでも主人であり、客人はどこまでも御客様です。主体と客体との区別は何時の時代でも守るべき倫理でしょう。
しかし禅の修行に於いては「ある時は主になり、またある時は客になる。何時でも主にもなることが出来、反対に何時でも賓になる事も出来る。心の自由さであり、更に主の心もわかり、且つ又賓の心も理解出来る」
という賓主互換(ひんじゅごかん)、即ち自己主張も大切であるが、同時に相手の思いも尊重せよ。という教えです。
そこまで会得してようやく「賓主歴然」と大きい声で言えるのです。
宮崎奕保

兵庫県加西市出身。加古川市の福田寺で得度し、駒澤大学専門部卒。

1929年 福田寺住職。
1946年 永平寺単頭。
1976年 札幌市中央区の中央寺住職。
1981年 永平寺監院。
1985年 同寺副貫首。
1993年 9月永平寺第78世貫首に就任。
2008年1月5日 享年108(満106歳没)にて遷化。
H27.3 寺務室
R03.09 寺務室
寬心應是酒
(心を寛うするは應に是れ酒なるべし)
杜甫の詩に

花飛有底急  
老去願春遲  
可惜歡娯地  
都非少壯時  
寬心應是酒  
遣興莫過詩  
此意陶潛解  
吾生後汝期  


花の飛ぶこと底(なん)の急か有る
老い去っては春の遲きことを願ふ
惜しむべし歡娯の地
都て少壯の時に非ず
心を寛うするは應に是れ酒なるべし
興を遣るは詩に過ぐるは莫し
此の意陶潛解す
吾が生汝が期に後れり


とある
伊佐如是(1809~1891)
江戸の人。
名は岑満、通称は新次郎、字は樓卿、号を如是と称し、
幕府の徒目付・具足奉行・海軍奉行などを歴任し、
駿府の牧之原開墾に尽力した旗本で、
下田奉行頭取としてアメリカ人ハリスの交渉役を務め、
唐人お吉をハリスに世話した人物として有名である。
亦、漢籍を岡本况齋に、書法を小島成齋に学び、
和歌にも優れた文化人で、
晩年は谷口原付近の子弟に漢学や書を教授し、
優れた能書家でもあり、
幕末三舟(海舟・鐵舟・泥舟)の書の師としても
知られている。
H28.5 本堂
R3.7~9新庫裏


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色紙

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