鳳林寺の宝物

令和 4年11月の展示


写真 読み方 意味・いわれなど 作者紹介 備考
(釈迦成道図)
12月8日にお釈迦さまがおさとりをひらいた様子をあらわしたもの。
丘球学(1877~1953)
 明治10年愛知県岡崎市出身。14歳で出家。
 大正4年伊豆修禅寺38世住職になる。
 (この頃、鳳林寺六世賢明和尚が修禅寺で修行をしていた)
 昭和12年永平寺後堂に就任。
 昭和22年、永平寺西堂に就任、
 昭和27年、永平寺初代副貫首。
 昭和28年、修禅寺にて遷化。世寿77歳
毎年12月本堂
上事於君 下交於友
內外一誠 終能長久
敬父如天 敬母如地
汝之子孫 亦復如是
上事於君 下交於友
(かみはくんにつかえ、しもはともにまじわり)
内外一誠 終能長久
(ないがいまことをひとつになせばついにちょうきゅうをよくせむ)
敬父如天 敬母如地
(けいふはてんのごとく けいぼはちのごとし) 
汝之子孫 亦復如是
(なんじのしそんまたなりてかくのごとし)

君主の為を思って忠勤に励み友人と誠意を持って付き合うように、皇帝・廷臣と庶民とが誠実に生きていれば国家は長く平和でいられるだろう。
父は天のようで母は大地のように尊いものだ。あなたの子孫もまたその繰り返しなのだから同じように尊ぶべきである。
文天祥(1236年~1283年)
中国南宋末期の軍人、政治家。
H27.10~12 客間
R04.10~12 客間
通宵立雪
求道忘身
達磨の弟子、 慧可が、達磨に弟子入りを請うている様子を描いていると思われる。

慧可は、嵩山の少林寺で面壁していた達磨に面会し弟子入りを請うた。達磨は断ったが慧可はあきらめず、自らの腕を切り落として弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない事を示し、入門を許されたと伝えられている。(雪中断臂)
丘球学(1877~1953)
 明治10年愛知県岡崎市出身。14歳で出家。
 大正4年伊豆修禅寺38世住職になる。
 (この頃、鳳林寺六世賢明和尚が修禅寺で修行をしていた)
 昭和12年永平寺後堂に就任。
 昭和22年、永平寺西堂に就任、
 昭和27年、永平寺初代副貫首。
 昭和28年、修禅寺にて遷化。世寿77歳
H26.12 寺務室
R04.12 寺務室
H30.10~12 客間
R04.10~12 新庫裏


過去の展示

掛軸

色紙

扁額・柱聯



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