鳳林寺の宝物

令和 4年 8月の展示


写真 読み方 意味・いわれなど 作者紹介 備考
赤洒々 「洒々(しゃしゃ)」とは、はっきりして清浄なこと。まる裸の一点の汚れもないところをいいます。
 すなわち、見栄も欲も外聞も捨てて、少しも隠すところなく、人間としてありのままの素裸の状態を「赤洒々」というわけです。
 それは修行に修行を重ねて、一切を放下して、純真無垢な赤子のような実に無邪気な消息です。赤子が「オギャー」と泣き叫ぶ姿を見てください。何の欲望 も、何の野心もありません。迷悟、善悪、美醜、貧富、自他、是非、一切の分別心(あれこれとこだわる心)を離れて、文字通り天真爛漫、無念、無想、無心、 清浄無垢(しょうじょうむく)の素裸の世界です。
丹羽廉芳
静岡県修善寺村生まれ。 1916年静岡市の洞慶院で得度。
1930年東京帝国大学文学部卒業。
清水市の一乗寺・龍雲院の住職を歴任
1955年洞慶院住職。
1960年永平寺東京別院監院。
1976年永平寺副貫主。
1985年1月、永平寺77世貫首に就任。
1993年9月7日、遷化。享年89。

H27.3.1~3.15 本堂
R0408 本堂
箱根湖畔緑陰繁
幾到軽煙散又存
鶯鳥頻歌三○節
見聞一一別乾坤

昭和己巳夏箱根避暑筆作 萬松山人孝道

昭和己巳は、昭和4(1929)年。
(秋野)大忍孝道 (1858(安政5)~1934(昭和9))
 韓大忍。黙照円通禅師。
 静岡の人。文久3年静岡長興寺にて出家し、明治5(1872)年、
伊藤慶道について得度。
 明治13年(1880)浜松天林寺専門支校に入り翌年同支校学監となった。
 同年、師兄加藤玄裔に嗣法し、明治15年、駒込吉祥寺曹洞棟専門本校
に入学する。
 明治19(1886)年卒業し、同年より西有穆山について13年間「正法眼蔵」
を研究する。
 明治22(1889)年静岡天徳寺に入山する。
 明治38(1905)年、永平寺後堂
 明治39(1906)年、永平寺眼蔵会講師
 明治40年(1907)、大洞院に転住
 明治42年曹洞宗大学長
 大正5年可睡斎に転住。
 昭和4年總持寺貫首に就任、昭和9年示寂。世寿77歳
H27.7 本堂
R04.07~09 客殿
丹羽廉芳
静岡県修善寺村生まれ。 1916年静岡市の洞慶院で得度。
1930年東京帝国大学文学部卒業。
清水市の一乗寺・龍雲院の住職を歴任
1955年洞慶院住職。
1960年永平寺東京別院監院。
1976年永平寺副貫主。
1985年1月、永平寺77世貫首に就任。
1993年9月7日、遷化。享年89。


H28.06 寺務室
R04.08 寺務室

(画)養老の瀧

(賛)久里多め亭 先命から徒なきとめ天 老を養ふ瀧乃白糸

七十三歳 手から能をか持 (花押がわり?)


(くりためて 先命からつなぎとめて 老いを養う瀧の白糸

七十三歳 手柄の岡持)
※くりためて=たぐって巻き取る。

※「荷」を使っているので、隠居後の作と思われる


(賛)
平沢 常富(ひらさわ つねとみ、享保20年~文化10年)-

出羽国久保田藩の定府藩士で、江戸留守居。 朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)の筆名で知られる戯作者、手柄岡持(てがらのおかもち)の狂名で知られる狂歌師でもある。通称は平角( 平格とも)、字は知足、号は愛洲。 隠居号は平荷。なお、上記のほか、青本では亀山人、笑い話本では道陀楼麻阿(どうだろう まあ)、俳号は雨後庵月成、朝東亭など多くの筆名や号を使い分ける。

(画)
高田圓洲 か?
書画辞典に「名は郷教、圓乗の子。狩野榮川院の風を能くす。享保年間の人なり」とある。

調査協力:田久 明 氏
平成30年5月1日~
      5月31日 本堂
R04.07~09 新庫裏



過去の展示

掛軸

色紙

扁額・柱聯



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